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カウンセリングとは何か

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カウンセリングを語る上で社会の視点で語る。「カウンセリングとは何か」を理解し、具体的にどう使えば良いのかを書いた。もうひとつの特徴が、「変化するということ」。カウンセリングの本質は人が変化する事。生活が危機に陥る時、あるいは人生が行き詰まる時、人はカウンセリングを訪れる。そこで話し合いがなされ、生活は変わり、人生が変化する。変化は人間にとって普通のこと。この自然な変化が不全に陥る時がある。そういう時にカウンセリングという専門的な営みが必要とされる。本書では、カウンセリングを生活と人生という切り口から、大きく二つに分ける。ひとつが生活の危機を乗り越えるための「作戦会議としてのカウンセリング」と、もうひとつが人生の行き詰まりに際してなされる「冒険としてのカウンセリング」。自分の心を探索し、「いかに生きるか」に取り組もうとするもの。私は、カウンセリングの本質とは、人が変化していくこと。ここが印象に残りました。私自身、カウンセリングを受けていて、カウンセラーの先生がトラウマについての絵本を見せてくれたことがありました。その時その本がとても心に響き涙を流したことがあります。トラウマではないとか、トラウマだとか、診断はされませんでしたが、その本で涙を流したということは、トラウマが確実にあったのではないかと確証が持てて安心しました。カウンセリングにかかる前の自分と、今の自分と比べると、かなり変わったと思います。人間関係についてもこれまでは来るもの拒まないという感じでしたが、合わない人と距離を置いたりすることができる様になりました。自分の心を考えていくことによって、周りの人の気持ちもよく考える様になりました。

カウンセリングは「怪しい」?。カウンセリングの怪しさには二つの要素。1.カウンセリングは誰でもやっていることだ。2.カウンセリングは宗教や占いみたいなものだ。カウンセリングの怪しさを増すのは、用語の混乱がある。世の中には様々なカウンセリングがある。心は誰でも扱っているという現実がある。「カウンセリング」が広く「悩み相談」という意味で使われていて、いわば「素人」的なものも含まれる。これが1に関与している。この本で僕らが見ようとしているのは、臨床心理学に基づいた専門的なカウンセリングであり、大学院で訓練を受けた臨床心理士や公認心理士によって提供される相談のことを指す。本来「心理療法」と呼ばれといたものも「カウンセリング」と呼ばれるようになった。私がカウンセリングのサイトを調べると、予想の検索に〇〇カウンセリング 怪しい。なども上がってきていて、カウンセリングというと、多くの人が怪しいと思うものなのだと実感しています。私自身は、子供の頃にカウンセリングを受けていたこともあって、怪しいとは思っていませんでした。こういった怪しいという判断によって、カウンセリングを避けてしまい、受診をやめてしまうことがあると、せっかくの心の変化や回復の機会を失い、もったいないなと思います。なので、この本を読んでいただき怪しさをなくしていただければなぁと思いました。

カウンセラーを探すには?ファーストチョイスは、所属している組織や住んでいる自治体のカウンセラーを利用してみること。無料ですし現場をよく知っているベテランが担当してくれる。有資格者(臨床心理士や公認心理士)かどうかも評価のうちで、有資格者には倫理的義務がある。カウンセラー探しは、ネット情報だけではわからず、一度会ってみるのが良い。この本では有償のカウンセリングの質の判断方法などについて書かれていました。私たちのNPOでは、無料で有資格者(臨床心理士・公認心理士)のカウンセリングを受けることができますので、無理ではカウンセリングを受けられない地域の方などにもぜひご利用いただけたら嬉しく思います。私どものカウンセラーの先生と一度会ってみるというレベルでのご予約も問題ありません。皆さんも一歩踏み出して、カウンセリングを予約して、心の回復が可能になれば幸いです。

カウンセリングはあまりに多様。実際どの現場でなされているかによって、カウンセリングのやり方は異なる。目標やニーズが変わる。人それぞれなので、それに合わせて異なるアプローチを使い分ける必要がある。カウンセリングとは、心の問題で苦しんでいる人に対して、心理学的に理解して、それに即して必要な心理学的な介入を行う専門的な営みである。私の調べたところでも、カウンセリングの悩みは本当に人それぞれです。解決とみなすゴールもカウンセリングを受ける人によって異なると思います。学校に行けなくて悩んでいる人もいれば、夫婦関係で悩んでいる人もいると思います。そのそれぞれに魔法の様に同じ方法で解決できる、ということはないと思います。それぞれ柔軟に対応する。ここにカウンセラーの技量があるのではないかと思います。

カウンセリングは怪しい?の1について、カウンセリングの本質を「人が人に話すこと」に見るのであれば、実際にそう。人々が日常生活の一部として無料で行っている事を、職業としてお金をもらってやる。確かに詐欺師みたい。だが、実は違う。人が人に話をする、この当たり前の日常が成立しないときがある。悩みを打ち明ける人がいな場合、中身を打ち明ける勇気がない場合、打ち明けようとしても、自分でも問題が何か言葉にならない場合、打ち明けても理解されない場合だってある。心は非常時に。心の非常時とは、周囲から理解されにくくなり、孤立し、孤独になる事。この孤独と苦しさに対応しようとして、余計に周りからは理解されにくい行動がとられたり、言葉を吐いてしまったり。すると、孤独はエスカレートしていく。こういう時に、専門家が必要になる。私も、日常的に悩んだ事を親に聞いてもらったり、友人に聞いてもらったりしています。それは、私が孤立せずに恵まれた環境にいるのだと思います。しかし、私は今統合失調症を患っていて、その内容はカウンセラーの先生にしかほとんどしていません。統合失調症の症状として幻聴がありますが、その内容を親や友人にしても、言っている意味がわからないと思います。なのでカウンセリングを受ける事で、その内容が現実には大きな影響を持たないもので、大したことではないし、正体不明の声とラベルを貼って対応するのが良いと聞いて実践しています。

心の専門家とは。カウンセラーの専門性の根幹にあるのは、非常時の心がどのように動くのか、そしてどのように働きかけると良いのか/悪いのかを知っていること。一般市民が常識に基づいて心を理解し、対処しようとすることに対して、専門家であるカウンセラーは、心の非常時についての学問を背景として、話を理解し、対処するということです。日常的な苦悩のほとんどは、素人同士のケアで解消されている。それができなくなるのが非常時。そういう時に専門家が利用される。専門家を使うことで、素人同士の日常のケアが再起動される。カウンセリングとは心の非常時を扱うテクノロジーである。私が思うのは、心の非常時には常識的なケアでは対応しきれないという事です。そして、家族や友人に毎日の様につらい、苦しいと言い続けるのもより孤立を深めることになるかもしれません。そこでさらに孤立しないためにも、つらいことや苦しいことを話してもいいカウンセラーに相談するのが1番ではないかと思います。カウンセラーは非常時の心について詳しいし、相談相手として相応しいと思います。

カウンセリングは怪しい?の2に関して、非常時に対処する専門家が、カウンセラーであるとは限らない。この指摘も正しい。心が苦しくなった時、精神科医のところに行く人もいれば、マッサージに行く人、ジムに行く人もいる。中には宗教家にお祓いをしてもらう人も。極めて重要なことは、それらのいずれでも、実際に問題が解決したり、癒されたり、時間をやり過ごすことができること。うまくいかない場合もあれば、うまく行く場合もある。カウンセリングも一緒。宗教と占いとカウンセリングは親戚。ただ、精神医学とカウンセリングの親戚度合いは近くて、宗教や占いはやや遠い。僕らの生活にも霊的・宗教的治療は生きている。不幸なことが続いた時には、厄払いに行こうかなと思ったりするし、不安そうにしている人に神社のお守りをプレゼントしたりすることは日常的にある。宗教から科学へ。神の力を借りずに、医学の力で治療する。科学の光が眩しくなればなるほど、科学の目では見ることができない心のメカニズムに注目が集まる。その時心理学が要請される。確かに宗教や占いはカウンセリングの親戚。祖先も同じ。しかし、カウンセリングは霊や神やオーラではなく、問題を「心」に見出すテクノロジー。色々な可能性を排除していった果てに心に突き当たる。それこそがカウンセリングの始まり。私も受験生だった頃はよく神社に行って、合格祈願とトラウマがなくなることをお願いしていました。私の場合、子供の頃親が連れて行ったから、精神科に通ってカウンセリングも受けていました。でももし親が連れて行っていなかったら、精神科に行かずカウンセリングも受けていなかったかもしれません。子供の頃のイメージでは、精神科に行く=心が弱い、情けないというイメージでした。ですが、精神科に行く事は、今の苦しい自分をより良くするためにメンテナンスに行くようなものだと理解し直しました。しかし、精神科には行っていたが、カウンセリングは拒否していた叔母が自死してしまった事を考えると、自分は受けていたカウンセリングの重要性に気づきました。自分のことを話すのは勇気がいることですが、その一歩が最悪の事態から逃れる方法だと思います。

「心のせいなのね」と考えることには副作用がある。心のせいにすることが個人を責めることにつながってしまうことがある。過剰な自己責任にカウンセリングが加担してしまう可能性。問題を外在化=外側に見出す支援が必要なことも。外側の世界を変える事を、社会的支援と呼ぶ。私は、単に自分の心を変えるだけで、全てがうまく行くという事もないと思います。それは、自分の周りの環境が悪影響を与えている場合もあるからです。私たちのNPOでも、必要とあれば、精神科や自治体の無料カウンセリングに行く様に薦めたりします。相談内容によっては、弁護士や、自治体のケア施設を利用する様に促したりして、社会支援をします。

誰がカウンセリングのユーザーなのか。弁護士にあった方がいい悩みもあれば、お医者さんに言った方がいい悩みもある。これらを見分けて、カウンセリングが役立つ場合にカウンセリングを提供するのが、カウンセラーの最初の仕事。ユーザー達が試行錯誤の末にカウンセリングにやってきていたこと。色々なことが試される。しかしうまくいかない。事態は悪化していく。そういう時に、ユーザーの視界にカウンセリングが表れる。心とは突き当たるものである。最後に姿を現すものである。カウンセリングとは突き当たるものである。カウンセラーの最も重要な仕事は、自己と心と世界のどの部分を、どれだけ変化できるか/させるかを判断すること。私がカウンセリングを受けている時にも、カウンセラーの先生から精神科の先生を紹介されたことがありました。最近では、親が私の統合失調症の治療ために先生を探してくれました。今は、症状の悩みのためにカウンセリングを受けています。私自身も解離性同一障害や統合失調症の本を読んで試してもダメだったのでカウンセリングを受ける様になっていますので、ユーザーは自分の力だけでは、どうにもならなくてカウンセリングを受ける様になるというのには納得がいきました。もしも、このコラムを読んでいる方でいきなり精神科に行くのは難しそうでしたら、私たちのNPOで無料オンラインカウンセリングを行なっているので、それも含めて一度カウンセラーの先生に相談してみるのもいいと思います。カウンセラーという仕事は、その人をどれだけ変えられるか見極めることが大事とのこと。私はカウンセリングを受けていて、先生からアドバイスを受けて自分の生活や考え方を変えてみたりしています。あとはカウンセラーの先生が話を聞いてくれるので感情の行き場があり、カウンセリングを重宝しています。

カウンセリングというと世間では「話を聞いてもらう場所」というイメージがあるかもしれない。それは嘘ではないが、全てではない。話を聞いてもらうだけなら、友人や家族でも聞き上手がいるかもしれない。日常ではなく、非日常の心。これを謎解きして理解する。ここに僕らの専門性がある。専門用語で「アセスメント」。カウンセリングで話を聞くのは、究極的には理解するため。カウンセラーの場合は、必要な心理学的な介入を行うところに特徴がある。カウンセラーの専門性は、非日常の心を謎解きすることの様です。ここが印象に残りました。カウンセリングというと、話を聞いてもらうだけなのかなと思いがちですが、私の経験上、話を聞いてくれた上で、カウンセラーがアドバイスをくれると思っています。私が受けていた認知行動療法では、私の今の感情や理解を、カウンセラーが望ましい方向へ変えるためのアドバイスをくれていました。私の場合、話をするだけでも楽になりました。

謎解きとは何か。不幸を解析して、治療方針を決める事。カウンセラーは、心理学によって、ユーザーの状態を分類し、不幸を生み出したメカニズムを解析。カウンセリングは終わりに至るまで、ずっとアセスメントが行われ続ける。心はすぐにわからなくなるので、何度も何度も理解して直されていく。そうやって謎解きを積み重ねていくのがカウンセリング。最初の出会いの時間に、カウンセラーは大いに専門性を発揮する。ユーザーの置かれている環境や本人の精神構造、そして問題の経緯を詳しく聴取する事で、何によって問題が起きていて、何をすれば良くなるかを明らかにする。カウンセラーは知性を使い、話さなければならない。私の場合、カウンセリングではトラウマの治療をするとカウンセラーが、明確にしてくれていました。そして、パルサーという振動を交互に送る装置を使い、鎖骨のあたりに当てて治療していました。カウンセラーは何度も私に最近どうかなという質問をして、その都度いろんなアドバイスをくれて、対応してトラウマが薄れていきました。トラウマに関するおすすめの本なども教えてくださいました。自分は浪人時代、誰も友達に連絡を取らないような孤独な環境にいたので、カウンセラーだけが本音を話せる相手でした。

カウンセリングはいかにして始まるか。「カウンセリングで相談した方がいい」と関係者に強く勧められて、その勢いで申し込む人もいれば、一年以上カウンセリングのHPを開いては閉じる繰り返す人もいる。カウンセリングの特徴はすぐに始まらない事。すぐに会えないのは不便で、不親切に思われるかもしれない。実際、緊急対応が必要な場合は、短所に。このつながりにくさが、カウンセリングが敷居の高いと言われる理由の一つ。カウンセリングというのは基本的に時間を味方につけるための営み。即座に物事を解決するのには向いておらず。時間の力を使って心や状況が少しずつ変化していく事を後押しする仕事。なので、予約日までの長い時間というのは、欲求不満が募る時間にもなりえるが、同時に未来に約束があることによって、自分や周囲を見つめ直す時間にもなりえる。私たちのNPOでは、カウンセリングが有料だと敷居が高いかもしれないという思いで、無料のオンラインカウンセリングを実施しようと決めて始めています。予約したあとは、予約日が来るまで時間がありますが、この本に書いてある様に、自分や周囲を見つめ直す時間にしていただければと思います。私たちのカウンセリング事業は、3か月前から予約できます。キャンセルしていただいても構いません。まずは予約する一歩を踏み出してみませんか?

相談したい事は「主訴」という。主訴はユーザーの苦悩の結晶。自分の苦悩を文章にするのは簡単ではない。苦しい気持ちに思いを戻さなければならないし、嫌な記憶を掘り出さなければならない。でも、価値はある。一人で抱えてきたものを初めて他者に共有するものへと変換しようとするのが主訴。主訴を書く事で、ユーザーは自分を振り返り、少し客観視できる。申し込みの段階から、少しずつ心を考えることがはじまっている。私たちのNPOでも予約時に相談内容を書く欄があります。そこで、自分を振り返り、客観視するタイミングにしていただけるといいかと思います。私の場合は、カウンセラーに学校の問題を逐一何が起こっているのかを説明して相談していましたので、思い出したくないのですが、もう今は言わなくてもわかってくれています。カウンセリングの始まりは説明しなければならないので、勇気も根気も入りますが、そのあとは楽になるなと思いました。

はじめの相談で、問題歴がうまく聞き取られるのならば、ユーザーにも大きな報酬がある。全体が理解されることで、自分が一人で抱えてきた苦悩を受け取ってもらえたと感じるし、話をすることで自分の問題を整理できる。カウンセラーは、ユーザーに対して、カウンセリングを通じてどうなりたいのかという未来を質問する。実現可能なゴールを話し合うことそのものが、心にとって栄養となる。私の場合、カウンセリングをしなかったら、未来のことなど考える余裕もなかったと思います。それほどトラウマの影響が大きくて、その中で受験勉強をしなければならなかったので苦しかったです。先生に話すことで、自分の心に少し余裕ができ、頭も回らなかった自分の未来のことを考えることができました。

自分がカウンセリングに行った時に、ちゃんと話せるだろうかと心配になる人もいる。心配いらない。問題を聞き出し、整理し、理解するのはカウンセラーの仕事。ユーザーは混乱したままで話して問題ない。その混乱を理解して、適切で、有効な質問を考え出すことにカウンセラーの腕がある。私の場合、カウンセラーが、私の言っていることを整理してくれていました。〇〇したんです。と言ったら、それは〇〇ということだね。と言った具合にです。頭が回っていなかったので、先生が整理してくれた言葉が自分の頭の整理につながりました。

人はいかにして変化するのか、そして変化するとはどういうことか。作戦会議としてのカウンセリングは、生活に関わる。日常を立て直すこと、毎日を維持すること。冒険としてのカウンセリングは人生に関わる。誰と共に生きるか、何のために生きるか、自分とは何か。今まで生きてきた物語をつまびらかにし、紡ぎ直すことが試みられる。私は、作戦会議としてのカウンセリングをよく受けていたなと思います。毎日の生活がままなっていなかったからです。浪人時代、トラウマを思い出して怖くなり、勉強が手につかないときがよくありました。そういう時に、カウンセラーにこういうきっかけでこういうトラウマを思い出したと伝えていました。先生はいつもそうしたらこうしなさいというアドバイスをしたわけではなく、そっかぁ辛かったねと言ってくれました。トラウマを治すのに、私に質問して、無理に思い出させたりしなかったので、私はトラウマを忘れて行ったのだと思います。

心には、生活と人生という二つの次元がある。カウンセリングにはこの両方の苦悩が持ち込まれる。なので、ケースバイケースで、そして局面に応じて、異なる対応がされるべきである。この総体こそが「カウンセリングとは何か」である。私の場合、今人生のところで、医師になるか別の職業になるかという二つで揺れています。統合失調症が治らなければ、勉強の邪魔をされるので、医師になることは不可能です。生活は、大学を休学中で今のところ親に養ってもらっているので、なんとかなっています。私は医師と別の道を歩もうとも思っています。人生のことなので、カウンセラーに相談しています。しかし、まだ結論は出ていません。

作戦会議としてのカウンセリングとは何か。それは、生活を立て直し、生存を確保するためにある。作戦会議は現実を動かすためにある。例えば、眠れなくなる、食べることができなくなる、会社や学校に行けなくなる、家族やパートナー、友人との対人関係でトラブルが多発したり、暴力に見舞われたりする。目の前に混乱した現実があり、それがユーザーの事を傷つけ、生存を脅かしている。なので、この現実を変化させるべく、適切に介入する必要がある。そのために行われるのが作戦会議としてのカウンセリング。セコンドとしてのカウンセラー。ボクシングのセコンドがイメージに近い。セコンドはボクサーの戦いを傍らで見ていて、情勢を分析し、アドバイスをし、励ます。トレーニングに付き合い、生命が危ないと判断すれば、タオルを投げることもある。頼りになる付添人。伴走する冷静な第三者。これが作戦会議の時のカウンセラー。カウンセラーは、冷静に事態を把握して、解析して、アドバイスを行う。ユーザーはそのアドバイスを試してみて、結果を報告する。カウンセラーは再び解析して、アドバイスをする。この繰り返し。私の場合、眠れないことが辛かったです。精神科で処方された睡眠薬を飲んでも眠れない時は、眠るために過食をしたりしていました。それが目の前の混乱です。予備校に行くことができない事もありました。しかし、カウンセリングを通じてトラウマが減って行ったので、行くことができる様にはなれました。先生からは、私がよく本を読むと言っていたので、過集中していないかと言われました。そこで、本に過集中しない様アラームをかけることをアドバイスされました。過集中すると疲れてしまいます。私はよくこれがあったので、1時間毎にアラームをかける様にしていました。あとは時計をよくみる様にしました。この一説では、カウンセラーが私のセコンドになっていくれて、タオルを投げてくれていたというのがとてもしっくり来る説明でした。作戦会議としてのカウンセラーとは、セコンドの様な役割というのが納得できました。

冒険としてのカウンセリングとは何か。心を打ち明け過去を物語る。夜に見た夢について話し合ったり、絵を描いたり、箱庭を作ったりして、自分の深い部分を表現する。そうやって、少しずつ知らなかった自分と出会っていく。心とは、鎧とスライム。硬い表層と、ドロドロとした深層。冒険としてのカウンセリングは、鎧を緩めて、スライムを再起動する試み。舞台監督兼助演俳優としてのカウンセラー。主演俳優はユーザーで脚本家も、演出家もユーザー。ユーザーの物語こそが冒険としてのカウンセリングでは十全に展開されねばならない。カウンセラーが務めるのは舞台監督。演劇がちゃんと進行できるように、舞台を準備し、管理する必要がある。面接構造をマネジメントし、治療技法としては日常と異なる応答をなす。それだけでない。カウンセラーは助演俳優として、ユーザー主演の物語の相手役を務める。古い物語を終わらせ、新しい物語を始める。私の場合、このような冒険的カウンセリングを受けたというのは、あまりないです。浪人時代、カウンセリングといえば、トラウマの治療ということでした。ですが、これからは違ってくると思いました。今統合失調症を患ったことで、医師をまた目指すか、それとも別の道を歩むかという人生の岐路に立っています。この様な冒険的カウンセリングがあるのであれば、カウンセラーの先生に率直に自分の今感じていることを言ってみようと思いました。あとは、心のイメージについてのこの鎧とスライムにとても共感しました。私は、受験している時にあまりにも問題が難しすぎて、理論武装した自分の心が打ち砕かれた様な時がありました。その時撃ち抜かれた心がドロドロに溶けていく様なイメージをしたことがあります。ここでもう医学部受験をやめようかと思いましたが、辞めずに続けました。受験勉強のストレスなどで、私の心が鎧の様に固まっていたのだと思います。

この本には詳しい心理学の学派について、心理学の捉え方など専門的なことも書かれています。ユーザーの悩み事例がたくさん具体的に載せられていました。カウンセリングが役に立つ4パターンも記載されています。たくさんの事例を紹介し、カウンセリングの技術が書かれていました。カウンセラーの介入方法について具体例が書かれていました。ぜひお読みください。

出典(東畑開人『カウンセリングとは何か』講談社)