「生きづらさ」を抱える人たちの多くは、本来持っている「生きる力」が一時的に失われているケースが多いが、永続的に続く様な「生きづらさ」を抱えているケースも少なくない。普通に生活しているように見ても、心の奥に深刻な生きづらさを抱えながら、それを隠してギリギリで生きている人が相当数いる。自分のことを肯定できない若者にふれるたび、私はこの時代に幸せになることの難しさと、自分の物語を生きることの必要性を痛切に感じる。私も子供の頃は、周りに合わせるために面白くないことも面白いと言っていたり、本音で笑ってはいませんでした。それが生きづらいなと感じていました。しかしあるとき友達が、「面白くないなら笑わなくてもいいんだよ」と言ってくれて、八方美人のように周りに気をつかいすぎていた私は、ハッとなり、それから自分のありのままに笑って、生きることができました。
地球に誕生して以来、人間は常に生存の危機があった。なので、生きる事そのものが目的たりえた。しかし、社会が豊かになり生命の危険がないことが当たり前になってくると、「生きること」それ自体の意味を見つけるのが難しくなる。自らが生きるモチベーションを自分で見つけるしかない。そこで必要になるのが「自分の物語化」。自分の物語化とは、これまでの人生で連綿と起こってきた出来事に対して、自分なりの解釈をつけていくこと。例えば、親しい人と死別し、悲しい時でも「この喪失の経験から得たものを、誰か他の人の役に立てよう」と思えれば、人はまた前に進める。私は、自分の物語という言葉を初めて知りました。社会のレールに乗っていかなければならないというプレッシャーは、他人の物語になっていたのかもしれません。社会で人を判断するには、どのような人なのかという肩書が必要です。私は受験に合格するまで、その肩書がなかったので、肩書きにすごく憧れていました。ですが受験に合格した後それは、社会での評価にとどまり、身近な友達や家族を喜ばせることのできるものでもなく、大したものではないのではないかと思うようになりました。
起こった出来事に対して、主観的に自分が納得できるような意味付けをしていくことで、挫折から前向きに立ち直ったり、成功体験を自信に変えたりできる。自分の物語に納得することは、自己を肯定することとほぼ同じ。「幸せな状態」とは、「自分が紡いだ自分の物語に、自ら欺瞞を抱くことなく、心から納得し、その物語に全力でコミットできていること」と定義。競争の世界の中で、「力が強い」「頭がいい」「お金持ち」「一流企業の社員」「名誉」「容姿が美しい」など、明確に「価値がある」とされているものは、現代社会ではこれらを望むのが良いとされこれらを掴むことができれば、多くの人から称賛される。しかし、これらの事を自分の物語の中心に置くと、失った時に身を寄せる物がなくなる。競争的な価値観から適度に距離を置くのは、自分本来の物語を作る上でとても重要。私は、自分の物語のことを考えると、なかなかうまく解釈できないことがあります。社会的に悪とされるものは、良くないこと。社会的に善とされるものは、良いこと。この社会における基準でとらえてしまっては、いけないのかもしれません。社会の常識というのは、揺れ動いているものだし、固定されているものもあります。最終的には、その人が好きか嫌いかが善悪の判断基準なってしまう部分もあると思います。ここで著者が言っているのは、自分が納得することのようなので、自分の中で納得がいけば、社会的にどうかを考える必要はなく、それでいいのかもしれません。競争的な価値観としては、私の場合、多浪生だったので、社会でいう負け組かもしれないですが、その浪人の中で色々な本に出会い心が豊かになったとも、解釈ができると思いました。
自分だけの「好き」に浸る。誰からも褒められる「いい子」を演じれば、一時的な承認は得られるが、それは自分のリアルな心根の部分を承認されているわけではない。すぐにまた、「誰かに褒められる何か」をしていないと不安になる。このような他人の感情を優先する生き方から抜け出すのは、誰にも遠慮をしない、自分だけの「好き」を見つけて追求する事。「好き」は自分だけに向けたられた感情。私の場合、ハンターハンターというアニメが大好きで、今もグッズを収集しています。他にも好きなアニメがあり、アニメ鑑賞が趣味です。このように「好き」なことに打ち込んでいる時が幸せだと感じます。確かに自分の鑑賞のためにグッズを集めていたりするので、ベクトルは他人から自分に向いていると思いました。それは自分の物語だと思います。
「嘘のない物語」が、人生を支える。物語の編集にあたり、警戒すべき現象の一つが、「だから私はダメなんだ」病。どんなに素晴らしい「出来事」があってもネガティブな解釈があれば価値がなくなる。自分の物語を作る上で大事なのは自分の感情に素直である事。感じてはいけない感情はない。感じたままの感情だけが、自分に起きた出来事に納得するための解釈をもたらす。自分自身で納得して受容できたら、どんな形であれ、誰にも比べられない「心強い物語」となる。いびつさは、その人の真骨頂であり、本質的な魅力。自分の弱さ、いびつさ、未熟でかっこ悪いところも認めて、それをも引き受けた「嘘のない物語」は、ありのままの自分を「それでもいいよ」と肯定し、永きにわたって人生を支えてくれる「しなやかな強さ」をもたらす。私も今、統合失調症で大学を休学しているので、こんなことではダメだ自分は何もできないと落ち込むことがあります。しかし、私は精神科志望なのですが、よくよく考えると医学部を卒業して医師にならなければ誰のことも助けられないのか?と言われると、そうではないと思います。そういういきさつで、休学については、私は無料オンラインカウンセリングのNPO法人をやっていく上でのモチベーションになっています。休学している間は自由になんでもできるので、症状が落ち着いているときにこの活動を広げる工夫をしています。それも他人からの評価ではない、私の物語です。
多くの人が、他人や社会が決めたルールを受け入れ、自分のルールより優先させ、必要以上に我慢をしている。「自分の価値観やルール」に基づいた、「自分の物語」「自分らしい人生」を取り戻すにはどうしたら良いか。ます、人間関係のあり方を見直す事。人生において、最も重要で厄介なのが人間関係。その人間関係が自分にとって好ましいかどうかを見極める。好ましい人間関係は公平で穏やか。好ましくない人間関係は、他人のルールであなたを縛り付け、あなたの価値を勝手にジャッジし、あなたの時間やエネルギーをひたすら奪う。私は子供の頃から自分のルールを大事にしていました。それは、ナルトというアニメのキャラクターが自分ルールを守ることを大事にしていたからです。そのルール的にあり得ないことをやらないと決めて生きていました。なので、高校生の時に、学校問題で大変なことがありましたが、今では自分のしたことに後悔していません。人間関係でいえば、私も自分のルールがあったので、他人のルールとぶつかることがありました。そこでは、社会的に善とされていること自分の価値観でぶつかりました。そこで、自分のルールを優先していましたが、周りの人に自分のルールを押し付けていた面があるかもしれません。このことを読んでそれは良くないと思いました。勝手にジャッジしていました。反省したいと思います。
世界は「自分が責任持って守るべき領域」と「他人が責任を持って守るべき領域」の二つ。あなたの心(思考)や身体、生活、人生などは、あなたが責任を持って守るべき領域。自分の領域に侵害が起こるのは、「自分の他人の間の境界線」があいまいだったり正しく機能していなかったりするから。境界線があいまいだったり、正しく機能していなかったりすると、自分を責める(自責)傾向や他人を責める(他責)傾向が強くなりがち。他責傾向が強い人は、不安が強い人。「自責」と「他責」の根っこは一緒で、境界線のあいまいさ。私は中学生の頃、友達の中に自分の価値観を何度も説明して、押し付けてくる人がいました。私は、その内容はいつも聞き流していたのですが、ある意味共通の価値観を持たせるための洗脳だったかもしれません。教育とは社会による洗脳と言って仕舞えば、身も蓋もありませんが人間が集団で生活し、社会活動を行う上で必要なことでもあると思います。社会の全てが悪ではなくて、社会が必要としていることと、自分のできることのズレが圧力となり、心をむしばんでいくのかもしれません。社会な要求に応えられない自分を責めたり、他人を責めたりして、社会における自分の居場所を求めているように思えます。しかし、それも他人の物語かもしれません。自分の物語では、自分の居場所は自分で決めることのような気がします。
境界線のあいまいさを直すには、「他人からのラインオーバー」に敏感になってみること。「ラインオーバー」は、自分の「快・不快」の感覚や相手とのやり取りの後に感じる「モヤモヤとした気持ち」に着目。相手との関係そのものを客観的に観察することも良い。他人からのラインオーバーに敏感になるにつれ、自分は何をされたくないのか、自分にとっていらないものは何か、自分は何を心地いいと感じ、自分が本当は何を求めていているのかが分かり始め、あなたにとっての「自他の境界線」「守るべき自分の領域」が分かり始める。私は、子供の頃から、他人のラインオーバーには、非常に敏感でした。他人からのラインオーバーを無視したりしていました。ですがそれだけでは、その行為は無くならないのです。なので私の場合心に封をして、思ったことを言わないようにしたりしました。そして、我慢の限界が来ると私はいつの日か突然キレるというタイプでした。我慢して人間関係を保つというのは、良くないことだったなと思います。
あなたの領域を侵害しようとする人を遠ざける3ステップ。自分の利益や自尊心を守るため、ときにはきちんとNOと言い、「お断り」をすること。ステップ1は、第三者に相談する事。ステップ2は、気持ちを伝える努力をする事。ステップ3は、相手をNOの棚に分類する。私は、以前と違い最近は友達の誘いを断るのにあまり気にならなくなりました。それは友達が遊ぶとなって日時を決めても、よく遅刻したりするのでどっこいどっこいだろうと思うからです。そして、ラインオーバーをされたら、NOということがあります。友達から病気の相談をされた時に、私は医学生でありますが医者ではないので、わからないとはっきり言いました。
ラインオーバーしてくる相手を遠ざけるときに邪魔になってくる考えが、「人を嫌いになってはいけない」「人を悪く言ってはいけない」「誰とでも仲良くしなければいけない」といった道徳的考え。どうしても合わない人をときに嫌いになったり、悪口を言いたくなるのは人として当たり前。人はそれぞれ異なる考えや価値観を抱く。「この人の考えや価値観の違いは許容範囲」と思ったのであれば、折り合いをつける努力をする。「この人の考えはどうも受け入れられない」のならば、離れる。くわえて、道徳的考えにとらわれすぎると、悪口を言ってしまったり人を嫌いになったりしたときに「自分はなんで嫌な人間なんだろう」と自己嫌悪し、自己評価が下がることも。多少悪口を言うくらいが、自分に対して正直で、むしろ自分に嘘をついて悪口を言わない人よりも健全かもしれない。私が思ったのは、悪口を言うほどの関係であれば、もう親しくできないし深く関わる必要がないのではないかと言うことです。しかし、社会ではそれを避けられない場合があります。嫌な人でも付き合わなければならない場合は、やはりそう言う相手からのラインオーバーには、NOと言って自分の心を守るのがいいのではないかと思いました。相手を変えるのは相当な苦労がいるので、自分が変わる方が早いと思います。その人に対する対応策を考えたり、少し離れたりするのがいいのかなと思いました。
私は、一人でと多くの人に自分のルールに基づいた自分らしい生活、自分らしい人生を取り戻し、自分の物語を生きていってほしいと願う。その為には「まず、自分に合わないもの、やりたくないことを見つけ、NOということから始める」が良い。おそらくあなたは、今、多くの時間を他人のルールのために割いているのではないだろうか。でも自分の合わないもの、やりたくないことにうまくNOを言い、遠ざけることができれば、その時間が他人に奪われることを防げる。私の場合、医学生なので、長時間の勉強がかなり苦痛でした。やりたくなかったです。幻聴が聞こえてきて、勉強の邪魔をし出してからは、勉強自体が不可能になりました。そうなって初めて、私は勉強していた頃はとても不幸せだったと思うようになりました。今は休学中で長時間の勉強からはほとんど解放されています。今の方が幸せではないかとさえ思っています。医師になれない自分を認めて、他者からの評価は気にせず、自分の物語を生きていきたいと思っています。
お金や肩書き、家や車などの所有物のように、他人との比較で満足感が得られるものを「地位財」と言い、自由や健康、愛情など他人と比べなくても満足感が得られるものを「非地位財」と言う。このうち、競争によっての手に入れられるのは地位財だけであり、非地位財は、競争とは無縁のところで得ることができる。競争や評価とは無縁の人または世界とのつながりを大切にする。競争の世界とは適度に距離を置き、自分の中のいびつさを面白がり、愛してくれる人出会い、自分の中のいびつさを認められるようになったとき、人はようやく「完璧でもなく優秀でもなくても競争に負けても、自分はこれでいい」と言う感覚を持つことができ自分の物語を生きることができるようになる。私は、地位財の魅力もその無意味さも両方知っています。地位財は、自分をアピールするのに有効な手段ですが、同時にそれに興味のない人にとっては何でもない無意味なものです。私は、地位財を身につけついる自分は、本当の自分ではないと思います。質素で簡素なものを身につけていて、初めて自分の本当の価値がわかるのではないかと思っています。競争の中で、周りに合わせるために地位財を身につける人もいると思います。また、本当にそれが好きで身につけている人もいると思います。私には、色んなブランドの価値を理解できないので、必要のないものです。愛する人には、本当の自分をわかってほしいと思うので、地位財のない状態で過ごしたいです。それが私の物語です。
NOと言えない人に知ってほしい「お断り」の強さレベルという表が書かれています。お断りするのにも断り方のレベルがあるようです。これは人間関係において参考になると思います。著者の実際の診察での事例もたくさん挙げられていて、著者の言葉を実感できる内容のなっています。ぜひお読みください。
出典(鈴木裕介『我慢して生きるほど人生は長くない』株式会社アスコム)